145:『新たな活路を開くために』

今年もさくらも散り本格的な春爛漫の季節になりました。しかし、コロナ禍の状況の好転が見えず何か息苦しい世の中ですが、そんな中でも、事業経営を継続発展させていくことは、まことに大変なご苦労がおありと拝察いたします。コロナ禍で、いままでの常識が常識でなくなり、いままでの日常が日常でなくなっています。こんな状況を打破するためにも、新たな活路を真剣に切り開いていく必要があると存じます。

そこで今月号は稲盛和夫氏の著書「心を高める、経営を伸ばす」の中から「新たな活路を開くために」の章から2題ご紹介をさせていただきます。

 

『厳しい課題を課す』

「板子一枚下は地獄」という言葉があります。創業まもない企業の社員というのは、このような言葉で表されるような、明日の保証がない危機的な状況の中で懸命に働いていたはずです。ところが会社が発展し、豊かな状況しか知らない新しい世代が増えてくるにつれ、社員の働く姿勢・意欲が変質してしまいます。

それも当然かもしれません。鋼鉄製の船に乗った人に「板子一枚下は地獄」の気分になれと言っても難しいと思います。危機的状況の中では、周囲の環境が怠惰を許さず、必死にならざるを得なかったのですが、設備もあり資金もありという豊かで恵まれた環境で、ベンチャー精神を鼓舞して、新しい事業を起こすことは、精神的にはるかに過酷なことだと思います。それでも、果敢にチャレンジするためには、環境に甘えることなく、自分を極限にまで追い込める精神力が必要です。精神的に自分自身を追い込める人、つまり楽な方向へ流れようとする自分に厳しい課題を課すことのできる真摯な人間性を持ち、真剣に自分の仕事で悩む人でなければ、この豊かな時代に新たな活路を開くことはできないと思います。

 

『動機善なりや』

「動機善なりや」。私は企業経営をする上で、こう自問することを常としています。それは、新しい事業を展開する場合などに、「動機善なりや」ということを自らに問うのです。何かをしようとする場合、自問自答して自分の動機の善悪を判断するのです。善とは、普遍的に良きことであり、普遍的とは誰から観てもそうだということです。自分の利益・都合・格好などだけでものごとは全うできるものではありません。その動機が自他ともに受け入れられるものでなければならないのです。また、仕事を進めていくに当たって、「プロセス善なりや」ということをも問うています。結果を出すために不正な行為もいとわないということでは、いつかしっぺがえしを食らうことでしょう。実行していく過程も、人の道を外れるものであってはならないのです。言い換えれば、「私心なかりしか」という問いかけが必要なのです。自分勝手な心、自己中心的な発想で事業進めていないかを点検するのです。私は、動機が善であり、実行過程が善であれば、結果は問う必要はない、必ず成功すると固く信じています。

 

終焉が見えないコロナ禍ではありますが、真正面から対策に取り組み、また以前のような普通の生活や仕事ができる日が来るという希望をもって、立ち向かいたいものです。

 

(株)経営開発センター  文責:阿野英文 拝

 

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