ようやく緊急事態宣言が全国的に解除となりましたが、まだまだ予断を許さない状況下にあります。みなさまの施設にあっても、コロナウィルスで特に在宅部門に影響があり何かと気苦労が多い今日とお察しいたします。しかし、出口のないトンネルはありませんので、明るい未来に向かって強い意志をもって対応していきたいと思っています。今回、私自身当たり前の生活が実は当たり前ではなく幸運の積み重ねの上にあったとしみじみ実感いたしました。当たり前のことに感謝すべきであることを学びました。
さて今月号は稲盛和夫氏の著書「心を高める、経営を伸ばす」から、「部下・後輩を持ったときのために」の章から2題ご紹介をさせていただきます。
『無私の心が人を動かす』
人を動かす原動力は、ただ一つ公平無私ということです。無私というのは、自分の利益を図る心がないということです。あるいは、自分の好みや情実で判断をしないということです。
無私の心を持っているリーダーならば、部下はついていきます。逆に、自己中心的で私欲がチラチラ見える人には、嫌悪感が先立ち、ついていきかねるはずです。
明治維新の立役者、西郷隆盛は、「金もいらない、名もいらない、命もいらないという奴ほど、始末に負えないものはない。しかし、始末に負えない者でなければ、国家の大事を任せるわけにはいかない」という言葉を残しています。つまり、私欲がない者でなければ、高い地位につけるわけにはいかないと言っているのです。
リーダーの指示ひとつで、部下の士気も上がれば、逆に部下が苦しむことにもなります。それなのに、自分の都合によって指示をしたり、ものごとを決めたり、感情的になったのでは誰もついていきません。
リーダーは、まず自らの立つべき位置を明確にすべきです。そして、私利私欲から脱却した、「自分の集団のために」というような大義に自らの座標軸を置くべきです。
『大善をもって導く』
リーダーは、愛情をもって部下に接していかなければなりません。しかし、その愛情はいわゆる溺愛であってはならないはずです。“大善と小善”ということばがあります。
たとえば、かわいいからと子どもを甘やかし、そのために成長するに及んで、人生を誤ってしまうということがあります。逆に、子どもを厳しく教育し、しつけていくことによって、素晴らしい人生を歩むということもあります。前者を小善、後者を大善といいます。
職場においても、様々な上司がいます。その中には部下の意見を聞き、若い人たちがやりやすいようにしてあげる優しい上司もいると思います。もし、信念もなく部下にただ迎合している上司ならば、決して若い人たちのためになりません。それは若い人たちにとって楽ですが、その気楽さは彼らをだめにしていくはずです。長い目で見れば厳しい上司の方が部下は鍛えられ、はるかに伸びていくはずです。
「小善は、大悪に似たり」と言います。つまり、短絡的に良かれとすることが、本人にとって本当にいいことなのかどうか、リーダーは部下への真の愛情を見極めなければなりません。
私自身、永らく集団の長として集団を引っ張っていく役割を担ってまいりましたが、ご紹介した同氏の著書は、折に触れて勇気をもらいました。みなさまも一度手にされてはいかがでしょうか。
(株)経営開発センター 文責:阿野英文 拝