レポート:第45号「道徳なき経済は罪、しかし経済なき道徳は寝言」

 去る9月28日(金)に、弊社グループの稲田会計事務所が主催した講演会の報告書から転載させていただきます。

 関西学院大学講師であり、二宮尊徳の7代目子孫である中桐万里子氏を講師として迎え、「二宮尊徳の実践モデルを学ぶ」と題して、講演会を開催しました。中桐氏は尊徳について、「読書家、勤勉家のイメージが強いですが、実際のところは机上の空論や単なる理想論を激しく嫌った現地現場主義でありました。すなわち、どんなきれいごとでも、実際の田畑が実らなければ意味も価値もないと考えていたからです。」と述べられていました。

 「道徳なき経済は罪、しかし経済なき道徳は寝言(二宮尊徳の言葉)尊徳は生涯で600余の村に実りを復活させ、農村を再建することに成功しました。

 しかし、尊徳一人の力で600もの村の田畑に実りを蘇らせることは困難であり、これを可能にするためには、その村に住む農民たちが自ら積極的に「労働」へと向かうモチベーションが不可欠でありました。そこで、尊徳がいかに農民一人ひとりの力を引き出しモチベーションを上げていったのか。それは、農民一人ひとりを主役にすることである。その具体的手法は尊徳が作った五常講という制度にもっともよく表れているといわれてます。

 その制度とは、無利子・無担保で少額融資を行い、10か月で返済させるという日本での信用組合の母体となった仕組です。無利子といっても返済終了後も2か月間同じ生活をして、2回分多く返済してもらうことを前提とする制度で、実質的には利息相当額を徴収していたようです。もっとも恩に報いるという意味で返済終了後の2回分は農民自ら進んで支払うこととしていた。これは融資を受ける側に生じる助けられたという劣等感をなくし、農民たちが助ける側に回ることで、自立を促す意味があった。農民からの返済額は他の農民に融資され、尊徳はその仕組みから報酬を受け取ることはなかった。いかに農民が自立できるか、このことに尊徳が智恵をしぼっていたことが解るエピソードです。

 この「五常講」とは、「」:多少余裕のある人が余裕のない人のためにお金を差し出すこと。「」:借りた人は約束を守って必ずお金を返すこと。   「」:借りたほうが約束を守って正しく返済すること。「」:約束を守って返済した後、必要なお金を貸してもらった感謝を行動で示す。その恩義に報いるために利息(冥加金)を差し出したり、さらに努力して得た余財を貸付金に充てるときも決していばったりしないこと。「」どのようにして多くの余財を生じ、借りた金を早く返すか、つまり約束を迅速確実に守るかという工夫をすること。から由来するものだそうです。

 私は特に、「道徳なき経済は罪、しかし経済なき道徳は寝言」という言葉に非常に感銘をうけました。これは経営をするうえで大切な「理念」と「そろばん」のバランスをうまくとることと同意義でありますし、机上の空論では経営は成り立たないという現場実践主義の薦めでもあると思います。さらに「五常講」にあっては金銭の貸し借りの話しですが、この金銭を「能力・知識・技術」の授受と置き換えると人材育成の理想が見えるような気がしました。能力の高い職員は、そうでない職員に対して「」の気持ちを持って能力を伝授し、教えられる職員は「」と「」のこころをもって教えられた能力をマスターしていく。さらに「」のこころで後輩に伝授していく。そんな人材育成が出来ればすばらしいのにと思います。これを机上の空論ではなく、「」をもって一歩づつでもそういった職場風土を創り上げていきたいと強く感じた次第です。

  株式会社 経営開発センター 福祉経営部 阿野英文

カテゴリー: NEWS&TOPICS, 最新情報, 福祉セミナー&トピックス, 福祉経営コンサルティングレポート   パーマリンク